アンパンマン

毎度毎度お久しぶりなブログ更新です。

なぜ毎度こんなにお久しぶりになるのかって、こうやって自分の思っていることをみなさまにお伝えするのがなんとなく照れ臭く、もっと言えば、おこがましく感じてしまうんですよね。私が何を思っているのかなんて、私一人が自分の中で感じていればいいことのような気がしてしまって・・・。

けれど、こんな更新の少ないブログを楽しみにしていてくれる方がいて、また、カウンセリングをどこで受けるか迷われている方にとっても、どんなカウンセラーなのかを知るためにはブログを見るのが一番分かりやすかったりして、ブログの更新も大切なのかなと最近は感じています。

というわけで、できるかできないかは置いておいて、まずは1週間に1度の更新を目指して、がんばってみます!期待はしないで下さいませ。(笑)

 

さて、今日はアンパンマンのお話。アンパンマンマーチはやなせたかし先生が特攻隊の弟さんに向けて作った曲だと聞いたことがあります。そう思いながら聴いてみると、その歌詞の深いこと深いこと、もう涙を流さずにはいられませんでした。曲に乗るやなせ先生の思い、特攻隊の方々の思い、いろんなことを感じました。ただ、この説が本当なのかどうかは分かりません。やなせ先生自身は否定されている説のようですし、真実は誰にも分りません。私がこれを通して感じたのは、聴く側の思いが変わると曲自体もまったく違ったものになるのだということ。曲自体は小さい頃からずっと聴いていたアンパンマンマーチなのです。感動もせず普通に口ずさんでいたアンパンマンマーチなのです。なのに、ひとたび特攻隊を意識するだけでなんとも切ない歌になってしまう。本当に不思議なものだなあとつくづく感じてしまいます。自分の見ているもの、聞いているもの、感じているもの、それはすべて私を通すことで私の世界に変化しているんですよね。同じものでも他の方を通せば、その方の世界に変化する。誰もが同じ世界を見ているつもりでも、みんなそれぞれ自分を通した自分の世界を見ているんですよね。だからこそ、誰の世界が正解とかあるわけないんですよね。どれだけ自分の正しいで戦ったって、相手も自分の正しいで戦っているわけで、折れるわけにはいかないですもんね。それに気がつかない限り、世界から戦いはなくならないんじゃないかなと感じてしまいます。

 

よく「周りを変えたいならまずは自分から」と言いますが、それはその通りだなと思います。自分の感覚が変われば、もれなく見える世界も変わりますからね。周りが何も変わっていなくても、変わったと感じるのだと思います。また、それにより、周りから見える自分も変化するかもしれません。そして、その結果、周りとの人間関係もまた変わってくるかもしれませんね。すべてのスタートはやはり自分なのかもしれませんね。

 

ちなみに余談ですが、やなせ先生の正義は「飢える人を助けること」だそうです。正義とは敵を倒すことではなく、困っている人を助けること。確かにアンパンマンの姿そのものですね。確かにアンパンマンはバイキンマンを倒すことよりも困っている人を助けることしか考えていないですもんね。そのためにバイキンマンにパンチすることはあってもただ遠くに飛ばすだけですもんね。アンパンマンとバイキンマン、光と影、どちらもいて、どちらも成り立つ関係なのですね。

 

いや~、アンパンマンってすごいなあ。きっとまだまだもっとたくさんの意味が詰まっているような気がします。そんな思いで見るアンパンマンもきっと楽しいですよ。心が疲れた時、ぜひ何も考えずに見てみて下さいね。

 

ではでは。

自分のフィルター、相手のフィルター

 

久しぶりのブログ更新となりました。

読んでくださっているみなさま、毎度、更新の少ないブログでほんとうにすみません。

 

日々の生活に追われ気づけば朝晩に少し肌寒さを感じるようになっていました。早いものですね~。

そして、秋ですね~。私はなぜだか夏が終わる感じがだ好きです。なんでしょう。このなんとなく寂しい感じ。そして、このなんとなく寂しい感じが妙に好きです。

 

 

さてさて、今年はオリンピックもあったので、より一層あつい夏でしたね。普段からスポーツにものすごく興味があるわけではない私ですが、やはり選手の戦っている姿というものはなんとも言えずかっこいいですね。スポーツはまさに自分との闘い。最後はやっぱり自分なのかな。自分と向き合っている姿、もう本当に『かっこいい』の一言です。だからこそ、そんな選手の戦っている姿は見ている人の心を揺さぶることができるのかもしれませんね。

 

ただひとつ、このオリンピックを通してちょいちょい聞こえてくる「奇跡が起きました!」という言葉。どうも引っかかってしまうんですよね。努力をしてきた方がメダルを取ることは奇跡なんだろうか?と。それは奇跡ではなく、その選手の努力の結果だよね。と私なんかは思えてしまいます。すごくすごく努力して本当に必死に自分の競技と向き合ってきて、大会で結果を残せた時、「奇跡が起きました。」って言葉を選手はどんな気持ちで受け止めるのかな?と。嬉しい言葉なのかな? 私の「奇跡」の解釈がおかしいだけかもしれませんが、そう思うと言葉ってやっぱり大事ですよね。人によって言葉の受け取り方も解釈も違いますもんね。自分の思っていた通りに相手が受け取ってくれるとは限らない。そもそも人は相手の言葉を自分のフィルターを通して受け取る分、どうしても自分都合に解釈してしまいがちですよね。ほめてもらっても自己否定が強ければ「おだてられた」と解釈するかもしれませんし、逆に楽天的であれば、嫌味を言われてもそれに気づかないかもしれません。結局は受け取りたいように受け取っているのかもしれませんね。

 

人間関係でうまくいかない時というのはだいたい自分のフィルターで相手を解釈している時が多いように思います。そんな時、ふと自分のフィルターを外し、相手には相手のフィルターがあるという視点に切り替えると相手に対しての認識が変わり、ほどよい関係が保てるようになるのかもしれませんね。

 

それにしても「奇跡って・・・なんだろ」