自分のフィルター、相手のフィルター

 

久しぶりのブログ更新となりました。

読んでくださっているみなさま、毎度、更新の少ないブログでほんとうにすみません。

 

日々の生活に追われ気づけば朝晩に少し肌寒さを感じるようになっていました。早いものですね~。

そして、秋ですね~。私はなぜだか夏が終わる感じがだ好きです。なんでしょう。このなんとなく寂しい感じ。そして、このなんとなく寂しい感じが妙に好きです。

 

 

さてさて、今年はオリンピックもあったので、より一層あつい夏でしたね。普段からスポーツにものすごく興味があるわけではない私ですが、やはり選手の戦っている姿というものはなんとも言えずかっこいいですね。スポーツはまさに自分との闘い。最後はやっぱり自分なのかな。自分と向き合っている姿、もう本当に『かっこいい』の一言です。だからこそ、そんな選手の戦っている姿は見ている人の心を揺さぶることができるのかもしれませんね。

 

ただひとつ、このオリンピックを通してちょいちょい聞こえてくる「奇跡が起きました!」という言葉。どうも引っかかってしまうんですよね。努力をしてきた方がメダルを取ることは奇跡なんだろうか?と。それは奇跡ではなく、その選手の努力の結果だよね。と私なんかは思えてしまいます。すごくすごく努力して本当に必死に自分の競技と向き合ってきて、大会で結果を残せた時、「奇跡が起きました。」って言葉を選手はどんな気持ちで受け止めるのかな?と。嬉しい言葉なのかな? 私の「奇跡」の解釈がおかしいだけかもしれませんが、そう思うと言葉ってやっぱり大事ですよね。人によって言葉の受け取り方も解釈も違いますもんね。自分の思っていた通りに相手が受け取ってくれるとは限らない。そもそも人は相手の言葉を自分のフィルターを通して受け取る分、どうしても自分都合に解釈してしまいがちですよね。ほめてもらっても自己否定が強ければ「おだてられた」と解釈するかもしれませんし、逆に楽天的であれば、嫌味を言われてもそれに気づかないかもしれません。結局は受け取りたいように受け取っているのかもしれませんね。

 

人間関係でうまくいかない時というのはだいたい自分のフィルターで相手を解釈している時が多いように思います。そんな時、ふと自分のフィルターを外し、相手には相手のフィルターがあるという視点に切り替えると相手に対しての認識が変わり、ほどよい関係が保てるようになるのかもしれませんね。

 

それにしても「奇跡って・・・なんだろ」